株式会社りらいふ

2006年08月29日

子どもは親の思い通りにはいかないもの・・・

塾をズル休みした息子には結局、一言もその事実に触れることができなかった。

私からしかられる、と覚悟し、緊張して自室のベッドに横たわっていた息子は意表をつかれた様子だったが、心配そうに自分の顔色を窺う私を見て、ホッと安堵する表情に変わっていくのが判かった。「なあ、前に言っていたキャンプやけど、今度の土曜日二人で行かへんか?」ズル休みを叱る代わりに、とっさに出た言葉だった。あれほど拒んでいた二人キャンプだったが、息子は後ろめたくも嬉しかったのか、それともズル休みの免罪符のつもりなのか、あっさりと同意してくれたのだった。

反抗期にさしかかった息子だからキャンプでは思うように話ははずまなかった。
息子が塾に通うようになったのは息子の意志で決めたことだったが、そのように仕向けたのは私である。ある私立中学へ入れたいという望みが私たち夫婦にあって、うまく息子をその気にさせたのであった。息子の場合、勉強は嫌いなようだが、学校ではよく出来るほうだ。野球も好きで、子ども会のソフトボールチームに入り、ずっと続けている。以前は野球選手に憧れていたが、親の欲目で見ても、特に運動神経が優れているわけでもなく、とてもその道の才能がありそうにもない。本人も最近では自覚しているようで、既に夢は潰えたようだ。親とすれば、子どもが持っている才能を伸ばし、育ててあげるのが使命だと思っている。今のところ、勉強で伸びる余地がありそうだから、私立に行かそうと思ったわけである。だが、目的のその私立中学にしても、来春から方針が変わり、ある関西の有名私大コースのようなものが出来るらしく、息子の学力だとそのコースの受験を塾が奨めているらしい。確かに、親とすれば子どもを進学させるにあたっては、三流より二流、叶うのであれば一流と願うのは当然であろう。だが、中学から既に目的が有名私大ありきの考え方はいかがであろうか?それがどうも気に入らない理由のひとつとなった。

有名大学を目指すのが目的で詰め込み勉強をするのはどうなんだろう?大事なのは何を学びたいのか?を教え、導くのが学校教育ではなかったのか?

息子も私立中学受験はかなりのプレッシャーとなっているようで、塾をサボるのもその重圧から逃れたいからのようだった。「やっぱり、やめさそう」私たち夫婦の意見はそこで一致した。そして、このまま公立中学に進学するか、どこか別の私立中学に行くかの選択は息子自身に決めさせることにした。但し、今通っている塾は自分自身で決めたのだし、最後まで通すことを約束した。もちろん、ズル休みは今後しないことも、である。

だが、そう問屋は卸さなかった。その後にまたもやサボったのだ。さすがに私も怒った。何年か振りに大魔神の登場となり、怒鳴り声を上げた。あまりにも簡単に約束を反故にしてしまったからだ。今度は息子も真剣に受け止めたようであるが、あやしいもんだ。

考えてみれば、息子は私の遺伝子を継いでいるのだから、あまり期待はできそうにもない。
勉強が嫌いだった私はよく父親に叱られたことを想い出した。

何よりも、我が子とはいえ一人の人間だ。親の思い通りには決して動かないだろうし、期待するのも的外れかもしれない。だが、親心だ。あとで後悔しないように、まっとうに人生を送れるように導きたくもなる。学問以外の道で己の人生を決めるものが見つかれば、義務教育でその学歴を終了させても良いと思う。だが、いつ見つかるのか分からないのだから最高学府まで進ませたくもなるのが人情だ。親心とは、ほんに難しくも不安定だ。親がこんなにフラフラ揺れているのだから、子どもの方もグラグラ揺れるのも無理ないわなあ・・・と、しみじみ思う。これからもこいつとはぶつかり合うことになるのだろう。
お互いに温和で喧嘩も弱いけど取っ組み合うこともあるかもしれない。でも、言っておくがお父さんは決して引かないからな。父親として、人として正しいと思う魂をお前にぶつけていこうと思う。教育については甚だ頼りない父親ではあるが、人生の先輩として、そして、お前の唯一の父親として、この腕の中から巣立っていく最後の瞬間までお父さんは真正面から向き合っていくからな・・・。
それだけは揺らぎの無い《父親としての心》なのだ。

記念すべき小学生最後の夏休み。息子との初対決(?)の勝負は、とりあえず引き分けということで幕を引くことにした。

060819_172810.jpg 晩飯のカレーを煮る息子

めしたき親父.jpg 雨の中、昼飯のご飯を炊くおやじ