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スタッフブログ

2019年3月12日

長い間お世話になりました・・・・

㈱りらいふの長渕圭司と申します。
弊社の代表を長く務めさせていただきましたが、この4月をもって退職させて頂くこととなりました。
後任には、弊社従業員の小寺拓志が就任することになりましたので、ひとまずご報告申し上げます。
今回の事業承継における私どもの本意としては、事業のすべてを一個人ではなく、弊社のすべての社員、特に長く勤務して貢献してくれている社員を優先に託したい、という強い思いの結果、社員代表として小寺拓志が就任することになりました。

創業から約32年、多くのお客様からご愛顧を賜り、関係各位のご指導ご支援のお陰をもちまして、ようやくここまでたどり着くことができました。

振り返ってみれば、まさに山あり谷あり、悲喜こもごもの32年間でした。
一時は【もう駄目か・・・】という深刻な時期もありましたので、こうして、次の世代へバトンを渡し、繋ぐことが出来る事に大きな喜びと深い感動に浸り、まるで夢を見ているようでもあります。
これもひとえに皆様方のひとかたならぬご厚情の賜物と思い、感謝の気持ちでいっぱいです。長い間お世話になりまして本当に有難うございました。

この交代をもって、弊社の経営局面は第3ステージに入ったと考えています。
個人での創業時が第1、法人化の第2を経て、今回の新局面を迎えることになりました。
皆様方におかれましては、弊社代表の交代は、社業発展の好機ととらえていただきたく、これまで同様にご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。
平成31年3月吉日
株式会社りらいふ
代表取締役 長渕圭司

追記
10年ほど前から、精神的に引きこもり状態に陥っていましたので、お世話になった皆様方に対しての数々の非礼、無礼な振る舞い、平にご容赦ください。伏してお詫び申し上げます。


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新局面、ステージ、などと申すのも憚れるほど零細企業の上、創業のきっかけも、決して自慢できるものではありませんでした。

昭和63年3月、知り合いとの共同経営の失敗が元で、家族持ちながらも金欠状態に陥っていた頃、たまたま出会った商売が今の業界に入るきっかけでした。
電気温水器をご利用の一般住宅へ一軒一軒訪問し、メンテナンスの注文をとってその料金を頂戴する、という仕事に偶然にも出会ったのです。

当時、その日暮らしにも困る有様でしたので、日々の現金収入が可能、という事が魅力で飛びついただけで、起業願望や志などは皆無のスタートでした。
実際にやってみると、決して儲かる商売ではないが、なんとか食べてはいけそう・・・という程度のビジネスでした。

※下の画像は、その頃、帳簿のつもりで付けていた日誌のようなものです
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僕が稼いでくるお金を待ちわびる妻は、帰宅すると、待ってました!とばかりに、そのお金を握って晩御飯の買い物へ出かけます。
バブル景気全盛の頃にもかかわらず、その日食べる物はその日に調達するという、縄文時代さながらの狩猟採集民のような日々がしばらく続きました。

規模も収入もずいぶんと改善された現在ですが、妻は『あの頃の方が楽しかった・・・』と時々こぼしたりします。僕は二度とごめんですが・・・

それから1年ほど後、これも偶然が取り持つご縁でしたが、関西電力さんの電気温水器普及協力店に参加させていただくことになりました。
ほどなくして電気温水器の取り付け工事が急増、売り上げも増えて安定もしてきました。
多忙になってきたため、人手も探すようになります。
当時は、住之江区の団地にある2DKの自宅を事務所兼用にしていました。
求人の応募があっても、事業所が団地の中にあるとわかるとドタキャンをされたり、雇用に及んでも短期間で逃げられる、というありさまでした。

そんな折、1人の若者が面接のために自宅を訪れました。
I君という現役の暴走族で、風体も態度もそれらしき人物。本人いわく、『シンナーの吸い過ぎが原因で』前歯がボロボロ、第一印象は最悪でした・・・・

しかも、免許を取り上げられて無免許状態で、当方の募集条件に『【要普免】が無かったから来た・・・』、と臆面もなくのたまう。
堺市の大和川に近い古い木造アパートに住んでいたのでお互いに近く、仕事の際にはトラックで迎えに行ってから現場へ向かう、という段取りで合意したので働いてもらうことになりました。

I君は、タバコやパンの袋、空き缶などのゴミを、平気で走行中の窓からポイ捨てするようなとんでもない男でした。
今まで注意されたことがなかったのか、たしなめてもなぜ怒られたのかが理解ができず、キョトンとしている。何度も注意して、ようやくわかってくれました。

そんな男でも、僕のことを『社長!社長!』と呼んでは、付きまとうように慕ってくれていました。
ある日、マンションの管理人さんから、養生の仕方が悪いと怒られているのを見つけるやいなや、相手の胸倉をつかみあげ、殴りかかろうとした事があります。
一瞬のことで驚きましたが、興奮するI君を静止しつつ叱りました。普段は怒らない僕が大声で怒鳴ったものですから、目をむいて仰天、飼主に怒られた子犬のようにシュンとなっています。
そんなところが可愛くも思え、また、仕事も熱心に覚えてくれていましたから、僕としては、なんとか彼にまっとうな人生を歩んでほしい、と思うようになってきます。

半年も過ぎた頃、免許の再取得を勧めました。
費用は僕が一旦負担する、交通の便が悪い教習場だったので送迎もする、但し、仕事が終わってから、という条件付きです。
I君は小躍りするほど喜び、数か月ほどして普免の再取得にこぎつけ、同時に暴走族とも縁を切る、と言ってくれたのでホッとしました。

やがて1年も過ぎた頃、I君は彼女と同棲するようになります。妊娠した、と言うことでした・・・
『そのうち所帯もとう思てるんすわ・・・』とつぶやくI君でしたが、店舗もない、なんの保証もない個人商店にもかかわらず、健気に働いてくれている彼が、不憫に思えるようになってきました。
ちゃんとした会社にして、健康保険などの福利厚生を充実させ、子供ができても安心して働ける環境にしてあげたい、という考えに至ったわけです。

当時は、株式会社の資本金は最低でも1千万円必要だったので、とても無理。
なんとか工面できる3百万円の有限会社なら可能と判り、なけなしの貯金や保険の解約でかき集めた資金で立ち上げる事にしました。

安い賃貸でしたが、店舗も堺市一条通りに構えることもできました。
法人設立の手続きや申請は、行政書士さんに払うお金が惜しいので、自分で本を買って勉強、銀行の預金残高証明書を取ったり、公証人役場や法務局へ通うなどした結果、平成4年2月、有限会社デンオンサービスが誕生しました。
新しい門出にI君が大喜びしてくれたのはもちろんです。

残念なことに彼女は流産してしまいましたが、パートで事務所の電話番などを手伝ってくれるようにもなり、すべてが順調に進んでいると思えてきた頃、予想だにしない異変が訪れました。
I君が彼女共々、突然失踪してしまったのです。

携帯はまだ高価な時代で、固定電話も無く連絡のつきようがありません。
大家さんから聞いた話によると、素性の良くない者たちに追われていた様子で、たぶん和歌山方面に行ったのでは・・・、という不確かな情報しか入手できませんでした。

暴走族時代に、違法薬物の密売に加担した事もある、とは聞いていましたが、まさかという思いです。
その後、一切の連絡はなく、2年余りの二人三脚に終わりを迎えました。
せっかく彼らのために店舗を持ち、会社に格上げしたにもかかわらず・・・

今でも、時々I君のことを思い出します。どこでどうしているのか?、元気にしてるのかなぁ、と。
彼がいなければ、当社は存在しなかったと思います。そういう意味では、I君は当社の恩人といえそうです。

ここで特筆すべきことがあります。一時、ブームになったオール電化です。当社も活況を呈すようになり、事務所兼倉庫の現在の所在地へ移転してきた2003年頃には、従業員は4名になっていました。
リフォームも増えていましたので、将来のことを考えて、特定の商品だけを連想させる【デンオンサービス】を廃止、現在の社名に変更すると同時に、資本金を1000万円に増資して株式会社にしました。
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上り調子の時は、人もたくさん寄って来るものです。
求人もしないのに、『働かせてください』という人も増えてきました。大半は訪問販売での営業志望の方でした。
基本的には【来るものは拒まず】の方針で採用していましたし、実際、皆さんよく売ってきてくれました。
いつしか訪問販売で得た売り上げが中心になり、業績も右肩上がりで伸びてゆきますが、気が付くと従業員は15名までに増えていました。

訪問販売は、ある地域を一巡すると効率が落ちるらしく、次第に活動地域を遠方に求めるようになり、今日は和歌山、明日は奈良、みたいな状況に陥ります。
つまり、地域密着を目指す当社にとって、近隣の狭い商圏だけでは持続性が保てない、という事に気が付きました。

また、現地への移動時間が長くなり、営業マンはもちろん、工事部の負担も重くなってくるので、自分としては、彼らをあまり遠くに行かせたくない、という思いが強くなっていました。
加えて、これほど多くの従業員の将来を考えると、現状の事務所は手狭過ぎで、オール電化に依存する現体制では、持続可能な事業の継続は難しい、との思いも日に日に募ってきます。

人にある役割を与えると、経験が無いために、当初は役割を演じるようなところがあります。演じていくうちに、自然と板に付いてくるもので、医者は医者らしく、教師は教師らしく成長していくわけです。

会社の社長も同じで、図らずも社長になった自分でしたが、その頃は、自分なりに社長という役割を演じ、社員との関係も良好で、自然体で楽しく業務に向き合えました。
このことは、当時の社員さんたちのお陰と思い、今でも感謝をしています。

一時は【自分の居場所はここ!】と確信できる瞬間があるほど充実もしていましたが、皆から『社長!社長!』と呼ばれて調子に乗り、自身にとっては堕落の一途をたどっていた時期でもあったように思います。

地域をさまようにして移動する訪販は、様々な意味で当社にとっては過酷であるし、選択すべきでない、という結論に達していた頃、近くの国道沿いの空き地に店舗募集の看板が上がりました。

訪販を脱却するためには、自社ショールームを持って集客をし、太陽光やリフォームの拡販にも注力するのが最良、という、身の程知らずの考えに至っていた時でもありましたので、乾坤一擲の大勝負に出ることに決めました。

しかし、無謀且つ身の丈にそぐわない無茶な判断、行動だということは、十分自覚していたことも事実で、心中穏やかではなかったのですが、当時は増加した営業マンや工事部の従業員を守るためには、この道しかない!と思い込んでいたのが間違いの元でした・・・

当面に必要な資金は、銀行からすぐに調達でき、不動産屋(サブリース)との契約も済ませたまでは良かったのですが、契約書の恐ろしさを知らない自分は、その時に大きなミスを犯してしまいます。

土地は地滑り防止区域に指定されていましたが、開発許可を申請して下りるまで約3か月という事を聞いており、そのめどで建築スケジュールを組みました。

ところが、3か月経ち、半年が過ぎても一向に許可は下りません。許可が下りないとショールームの建設が出来ず、時間が過ぎるほど、資金の流出も増える一方です。

10ヶ月ほどが過ぎた頃、会社へ抗議に行きましたが、『申し訳ないがどうしようもない・・』との返事のみ。たまらずに弁護士事務所へ相談に行き、契約書に目を通してもらったところ、『開発許可が下りる期限の記載がない』ので、先方にその責任は問えない、逆に、遅れていることを理由にキャンセルすれば、前払いの契約金の回収はおろか、多額の損害賠償金を請求される、という事実に愕然となりました。

行くも戻るも地獄、まさに蛇の生殺しのような状況の中、毎日が針のムシロに座らされているように思え、独りで悩むことが多くなって、イライラや不眠、耳鳴り、被害妄想などに悩まされるようになりました。

ちょっとした事でも過敏に反応するようになり、些細なことがきっかけで一部の従業員に声を荒げて非難した事は、傲慢で未熟な自分が招いた、恥ずかしくも愚かしい行動だったと後悔しています。

結局、一部従業員の解雇までに発展し、騒動に嫌気のさした者たちも去り、最後に残った従業員は実質1人だけという、惨憺たる結果に終わります。

無用になったショールーム建設は頓挫し、契約金の回収もあきらめることにしました。キャンセルを申し出たところ、先方にも後ろめたさがあったのか、損害金請求の話は出たものの、実際には至りませんでした。
経営的には、ここからが本当に大変だったのですが、専務である妻の支えのお陰で今があります。苦労ばかり掛けたので、残りの人生は嫁さん孝行に励みたいと思っています。

それにつけても他人とは無責任というか、悪意さえ感じることがあります。騒動後、さまざまな憶測や心無い噂が飛び交いました。
騒動を起こしたのは事実なので、何を言われても仕方がないですが、不名誉なデマもあった上に、いまだに当時の与太話を、まるで事実のように、いい加減な事をふれ回る人物もいますので、最後くらいは言わせてもらいます。

誤解を招くような失敗や過ちを起こした非はあるかもしれませんが、(私たち夫婦は)人さまから後ろ指をさされるようなことや、やましい事など断じてしていません。それは今に至っても、です。
但し、大切な従業員を失い、資本金を大きく上回る損害を出した罪は、社長としては万死に値するものだと思いますし、時効があるわけでもありません。

こうして退職させていただくことになった今、当然の帰結として、経営から身を引くことに対して、些かの迷いもありません。

後進に道を譲れる光栄と幸運は、この上もなく喜ばしい事であり、当社が今以上に発展していくことを楽しみに、陰ながら見守っていくことだけでも十分有難く、且つ幸福と感じている次第です。
何度も申し上げて恐縮ですが、これまでお世話になりましたすべての皆様に御礼を申し上げたい気持ちでいっぱいです。
皆さまのご多幸とご健康を祈念して、これで最後のお別れの言葉とさせていただきます。
これまで本当にありがとうございました。

平成31年3月
長渕圭司
長渕智要


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